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懺悔


大阪人の「始末の精神」。

浪費をしないという意味で、ある作家は「節約」と書いて「しまつ」と読ませていた。

母は常々言っていた。

「出ん得」と言ってな、出て行ったらカネがいる。

家にいてたらええねん。


そうは言ってもたまにはね、久しぶりの母とのお出かけ。

私は12〜3歳だったろうか。

私の服を買いに行く。 


しかし、バス停まで向かう道にはいくつかの関所があった。

 

「どこ行くんえ?」

「ちょっとそこまで」

「気いつけて」

普通はそれで終わりなのに、気の利かない人もいて、

「買いもんけ? 

   私もいっしょに行くからちょっと待っといて!」

母と二人での買い物を楽しみにしていた私は、ふてくされて家に帰ってしまった。 

仕方なくそのオバチャンを連れて、母は嫌々買い物に行ったのであった。


お母ちゃん、かわいそうやったなぁ。 ごめんなぁ。

そう言ってやろうにも、

そうだ、母はもういないんだった。 



家の留守電に母の声が入ったまま。

たった2ヶ月前の元気な声で。


悲しみは遅れてやってくる。 


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親族


私は母のお気に入りの服でお棺に入れてあげたかった。
 
「ええ着物いっぱい持ってるのに、みっともない!」 
 
そう言う叔母、
 
言い出したら聞かない母と同じ気性だった。
 
誰にみっともないねん!とは思ったけれど 
 
苦肉の策で、服の上から着物を着せてもらった。
 

お母ちゃん、どっちでも好きなように。
 
 

親族が集まると意外な発見がある。
 

冬になるとかゆい。身体が。
 
オレも! 私も! と母方の親族。
 
体質がおんなじなんやね。 
 
 
よく効く軟膏があるので買ってある。
 
お風呂に入ってから塗ろう。 
 
しかし、
 
お風呂に入ると身体がしっとりとして痒くなくなるので、
 
つい塗るのを忘れる。 
 
そんなんで、去年とか一昨年とかに買った軟膏が新しいままある。
 
 
オレも!オレも!私も!私も!
 
 
性格や生活パターンもおんなじであった。
 
 
 

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数々の奇跡

 
  DSCF0293.JPG
 
 
もう長くはないとわかっていた。  
 
怖がりの母には、痛いとか苦しい思いは絶対にさせたくはない。
 
昔みたいに自宅で自然に亡くなるのと同じようにということで、
 
一年あまりお付き合いした主治医。
 
母もお気に入りだった。
 
それに病院でも評判の、信頼の置ける人でした。 
 

入院して骨折治療の後、外科病棟へ変わると、
 
母はあっという間に衰弱していった。
 
自然のままにとお願いしたのは私だけど、
 
もう呑み込む力もなくなった母が、このまま干乾びていくのを、
 
ただ見ているしかないというのは本当に辛い。
 
無駄でもいいから水分の点滴だけでもお願いしてみたが、何の効果もないとのことで却下された。
 
しかし、試しにミカンの房を含ませると、奇跡的に美味しそうに吸った。
 
「丸ごとのミカンは美味しいなぁ。」と私が言うと
 
母は小さく頷いた。
 
意思の疎通はこれが最後で、母が亡くなったのはこの数時間後だった。
 
 
世話のかかる母だったけど、私たちは何も介護をすることなく、 
 
「どっこも痛いところはない 。」と言いながら逝った。
 
それが本当に嬉しい言葉だった。
 
 
 
「姉ちゃん、もうあぶないからすぐに来て。」
 
弟から電話があったのは仕事に行く直前の午後1時ごろ。
 
午前中に入っている Oさんに電話。
 
彼女がそのまま残ってやってくれることになった。
 
もうちょっと遅かったら私が仕事に入っていて、夜の7時まで抜けられなかったところだった。
 
「もう心臓が止まっています。」
 
続けて病院側からはそのように電話が入った。 
 
 
しかし病室に入ると、
 
「まだ心臓が動いています。聞こえているので声かけてあげて下さい。」
 
主治医がそう言った。
 
 
それは
 
「姉が来るまで死亡確認は待って下さい。」
 
弟の、私への思いやりだった。 
 
 
 
「兄弟っていいですね。」
 
手分けして手続きを進める私たちに、 
 
葬儀会社の方が 言った。
 

「ご兄弟は?」
 
「兄がいるんですけど、障害があって・・」
 
 
 
ピンクの百合と白い胡蝶蘭に囲まれて、幸せそうに笑っている母。
 
たくさんの方々がお別れに来てくれた。 
 


「おまえ、早よ来い。」って、
 
     父が迎えに来てくれてるよ。 
 
 
 
 
いろんな奇跡があって、 
 
人生の最後は、ほんとうにドラマチック。
 
 
 
 
 
そして、私の昨年の漢字は
 
    「愛」 
 
 
  DSCF1777.JPG 
     
              12月4日の母 「愛子」
 
 
 
 

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クリスマスに


母は父の元に旅立ちました。


「クリスマスに逝くなんてオッシャレやなぁ」って言ってくれた方がいました。


父の時はひたすら悲しかった。

でも今回の母のときは、

「お母ちゃん、よかったなぁ」って、なんだかそんなふうに思うのが不思議。


これからじんわりと悲しみがやってくるのかも知れない。

 

いっぱい書くことがあるけど、もうちょっとあとで。

 

 


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急展開


母は急に容態が悪くなり、受診日を待たずに病院に行った。
 
そして、点滴治療を受けたら少し動けるようになり、
 
嬉しいので今までやっていた家事を一通りして、
 
最後に戸締まりをした後に、
 
玄関で転んでしまった。
 

救急車のお世話になり、
 
大腿骨骨折で、二日後に手術となった。
 
しかし、余命いくばくもない母なので、
 
手術によって寿命が縮まったり、
 
あるいは、手術中に亡くなることもあり得るなどと怖いことを言われたのだけど、
 
このまま寝たきりで人生を終えさせたくはない。
 
たとえ数日であっても座らせてあげたいし、歩行器ででも歩けたら嬉しい。
 

幸いに手術はうまくいき、翌日には車椅子に乗せてもらい、
 
職員さんたちによるクリスマス会に参加して、
 
大きな声で歌をうたった。
 
 
それに、食欲だけは衰えず、今日もモリモリ食べている。 
 
 
 

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毎日が辛い


母親と娘の関係は、特別なものなのかもしれない。

母は最近体調が悪く、マイナス思考になって、被害妄想もはなはだしい。

娘やからと、何言っても許されると思うんやろね。

痛いとか、辛いとか、この先どうなるんやろかとか、

グチグチと泣き言が、延々、延々延々・・・・・延々続くのである。

「私に言ったって治らへん、お医者に言い!」

私も言いたい放題なのだけど、 他人事としてスルー出来ないので、

母の痛みや辛さが全て娘の私にのしかかる。

結果、私は毎日どんより、鬱々として何にもする気がない。

毎日が辛い。 [もうやだ~(悲しい顔)]


聞きたくないので一ヶ月も放置してると、

「身体はどないやと電話してくれるのが当たり前やろ、

私がどんなに辛い思いしてたか、それをひとりで耐えてたんやで。」

いや、ひとりとちゃうやろ。

同居の弟と弟嫁が毎日被害被ってるし。 

それに、私に言っても治らへん。


隣町に住む叔母も被害者で、

心配だからと自転車で30分近くかけて訪ねて来たそうだ。

年が離れた叔母だけど、もう80近い。 

姉妹っていうも特別な関係なんやろね。 

たちが悪いのは、元気な時は連絡しないらしく、

叔母はいつまでも心配しているので、弟嫁がその都度連絡しているそうだ。

 

 

そう思うと父は世話がかからなかったなぁ。

いい時はいっぱいあったから、私、こんな辛いときもあって当たり前なんや・・ 

 


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スーパーのレジ


晩ご飯、なんにしようかな。

そうだ、おとといオトウサンと買い物に行って、牛肉買ったから・・

いや、買ったけど、牛肉は冷蔵庫に入れた記憶がない。

冷凍室にもない。

野菜室に間違えて入れたかな?

ない。

 

私、スーパーのレジはセルフじゃなくて係員のいるところに並ぶ。

しかし、それも日々進歩して、

ちょっと行かない間に、

お金は自分で機械に入れるシステムになっていた。

私がモタモタしてる間に、オトウサンが袋詰めをしてくれた。

 

それがあかんかった [ふらふら]

 

 

冷蔵物、野菜、お菓子や乾物、 私は分けて袋に詰める。 

いつものように、冷蔵物を冷蔵庫に入れた後、 

こっちはお菓子だからと、袋のままストック。

 

今日、その中に、

 

気色悪い色をした牛肉のパックが〜〜!!!

 

オトウサン、

お菓子とお肉をなんでいっしょに入れるねん [ちっ(怒った顔)]

 

ムカつくけどさ、 

せっかく詰めてくれたんやから怒らんとこ・・ 

そもそもセルフの支払機が悪いねん! 

 

 おかず、何にしよ・・

 


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路上ライブ


このところ精神が不安定な状態。
 
休みの日に梅田まで行った。
 
デパートめぐりしよ〜
 
ウロウロ歩いてると、
 
 
[るんるん] [かわいい] [ぴかぴか(新しい)] [るんるん] [かわいい] [ぴかぴか(新しい)] [るんるん] 
 
 
なに? なんだ? この癒される音楽は!?
 
音のする方へ歩いて行った。
 
あ、路上ライブやってる!!
 
 
 
  2016111012140000.jpg 
 
 
バイオリンのソロ
 
ステキ ステキ!!
 
私の心にグイグイ入り込んで感情があふれそうになる。
 
目頭が熱くなってしまった。
 
気がつくと周りに人がどんどん・・
 
 
CDが2000円やて?
 
買う買う〜 
 
 
 
それでね、
 
 
このあとオトウサンと待ち合わせてランチだったのだけど、
 
 
「さっき路上ライブあって・・・」
 
 
「ああ、通勤のときにいつもやってるなぁ。
 
     やかましくてかなわん。やめてほしいで。
 
   CD買ったって? あほやな!」 
 
 
 
 
 
  オトウサン、きらいや! 
 
 
 
 
 
 
 

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かき

 
お隣さんから大量の柿
 
 DSCF1744.JPG
 
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       DSCF1748.JPG
 
  ひたすらむくこと1時間
    
      まだ半分やけど、トレイに乗り切らん
 
 DSCF1751.JPG
 
 新しく買ったオーブン[ぴかぴか(新しい)] 弱の温度でひたすら加熱 
 
 DSCF1752.JPG
 
ドライフルーツになるはずなのに、全然出来上がらない。
  
クックパッドに載っていたのはこの1割ぐらいの量だったしなぁ・・
 
 
そのあいだに残りの柿をもうひと頑張り。
 
 
 DSCF1756.JPG
 
     こちらは砂糖を加えててお鍋で煮る。
 
 
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       大量の柿のコンポート  おいしい〜〜 [るんるん]
 
 
全然出来上がらないオーブンの方は、次の日にもういちど加熱 
 
 DSCF1764.JPG
 
    多少生っぽいのもあるけど 
 
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              冷蔵庫に入れておこう。 
 
 
 
 
 
 
 
こちら、柿・・・じゃなくて、牡蠣のほう

 
 
 DSCF1742.JPG 

 
開けるときに、いっつもピューって顔に水がかかるんやけど。 
 
 
 


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いつでも会える


barbarmamaさんが突然逝ってしまい、まだ立ち直れないでいる。
 
ブログ暦は11年だったそうだ。
 
私は途中からのお付き合いだったので、 
 
知らなかった過去の記事をさかのぼってみたくなった。
 
11年というから、「2006年」を記事検索したのだけれど、
 
2006年の記事を遡っても遡っても、初めの記事にたどり着けない。 
 
始めた頃はブログが楽しすぎて、1日に何度も投稿していたようだ。 
 
同じくらいのブログ歴なのに、
 
私が1039に記事数に対して、なんと彼女は2168 !!
 
どんどんどんどん遡り続けたら、やっと「初めまして」の記事が出て来た。
 
「初めまして』で検索すれば良かった。
 
2005年12月でした。
 
 
 
色々知らなかったことが出てくる。 
 
たとえばbarbarmamaというハンドルネーム
 
(家業の)床屋さんのママでしょ?
 
 
違ったんです。
 
バーバパパ という、絵本にもなっている海外のアニメからなんだそうで、
 
これは驚きでした。
 

しかし、BARBAPAPA・・・BARBARMAMA
 
BARBA・・・ 綴りが違う!
 

後で気がついたんやて。
 
ご愛嬌やね。
 
 
バーバパパは床屋さんではありませんし。
 
 
 
まだまだ読んでる途中です。
 
読んでる途中を「お気に入り」に入れて、 そこからまた読み始めるようにした。
 
なんせ膨大な記事数なので、又遡るのは大変。
 
 
全てにNICEをいれたいところだけど、ブログが重くて。
 
容量が目いっぱいだから重いのかな。
 
 
 

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